日記(5/18)

ランニングした.つかれる.
いつも15分くらい走るとへとへとになってしまってそれ以上走れなくなってしまう.もうちょっとペースを落として走るべきかな......

実験の授業があった.途中,1時間弱くらい教員氏が何もしゃべらなくなって「とりあえず資料読んでもらえますか」と言い出したのでアニメを見た.やっぱりまちカドまぞくはおもしろいなぁ.

なんやかんやあって顔画像から感情を推定するシステムを作ることになった.モデルはMNISTを改造すればできそう(ほんまか?)だけどデータセットを探すのがなかなか大変だった.さすがに適当な顔画像に手動で感情値をつけるのは地獄なのでアノテーションつきのやつを探したが,いい感じのやつは2,3個くらいしかなかった.機械学習,データゲーなのでは......?

最近,「今日はあんまり頑張らない日にしよう!」を毎日のようにやってる気がする.そもそもそこまで頑張らなくてもいいはずだが,頑張るといろいろおもしろいことがあるのでそうしたいという気持ちがある.ところがなんかやる気が出ない.授業があるので可処分エネルギーが少なくなっているのもありそう.我々はその謎を探るためアマゾンの奥地へと向かった.

やる気が出ないというよりはモチベーションがない.話は変わるが自分は今まで最大限の努力をして生きてきたわけではない.それで「要求されるよりも少ない努力で何かを達成できるだろう」という期待を抱いてしまう.競プロだと「そんなに精進しなくても水色になれるだろう」みたいな期待があった.でも現実的にはそうではなくて,相応の練習が必要そうだと分かった時点で自分に若干失望をしてしまったというか,そんなもんかと思ってしまった.こんなもんであることは客観的に見て劣ることではないしそこで努力をすべきなんだろうが気が進まない.まだ「そんなに頑張らなくても強くなれると思っている自分」がいる.そんなはずはないが.

これも繋がる話なのかは分からないが,自分は頑張る意味が歪んでしまっているかもしれない.Twitterを眺めていると強い人が結構いる.実際に会ったりその様子を目の当たりにしたわけではないので「強いと思われる」だけなのだが,まぁそういう人たちがいる.自分もそういう人たちに近づきたいと思う.そうやって頑張るのはそんなにおかしくはないが,「○○を身に付けたりして,結果的に優秀あるいは有名な人になる」のではなくて「とりあえず優秀あるいは有名な人になる」ことが目標になってしまっている気がする.これはたぶんあまりよくない.こういう目標を持つことで「なぜ頑張っているのだろう」という疑問を抱いてしまう.わざわざTwitterなんてやらなくたってすごい人はすごいのだから,努力をするなら自分のやりたいこと/やるべきことのためであったほうがいい.

知らんけど.