週報 2024-04-19 現代アート入門、ユーフォ工場、ボドゲであいさつ

04-13(土)現代アート入門

『常識破りの天才たちが作った 美術道』を読んだ。現代アートの歴史についてざっくり解説した本。かなり気軽に読める。代表的な作家ごとに、現代アートがどういうものでどんな目的を持っているのかをなんとなく理解できた。

現代アートを見て「あほくさ」と思ってしまうのは、現代アートの奔放さや制約のなさ*1への憧れでなのかもしれないと思った。なんとなく不自由な感じがして規範に縛られているような感覚の裏返しなのかもしれない。

www.kadokawa.co.jp

04-14(日)プロテインはヨーグルト味が美味しい

プロテインのヨーグルト味を飲んでみた。これまでに飲んだ2つよりも甘さがうっとうしくなく、飲むヨーグルトとして飲めてよかった。暫定1位。

🇮🇹🇮🇹🇮🇹

イタリア語で日記を書いてみた。なお1日坊主で終わった。まず英語で2、3文を作って、それをイタリア語に訳すとやりやすい。Duolingo だと復習を抜かりなくやるようになっているが、進みが遅い。自分で文章を作ると表現の幅を広げることができると思ってやってみた。続いてないけど。

04-15(月)

寺田寅彦の随筆『丸善三越』(寺田寅彦随筆集 第一巻 P124)に、

不思議な事に自分は毎年寒い時候が来ると哲学や心理が買った書物が読みたくなる。いったい自分の病弱な肉体には気候の変化が著しく影響する

とあった。自分も人文系の本を読み始めたのはこの冬に入ってからだ。寒いと気持ちがより内向的というか内省的になるのはよくあることなのかもしれない。

04-16(火)ユーフォ工場

ユーフォニアムの製造工程を見る動画があった。『響け!ユーフォニアム』とのタイアップらしい。

www.youtube.com

ユーフォニアムは管楽器なので管がくねくねしているのだが、くねくね部は冷やして曲げるらしい。なんとなくあっためて曲げてそうなので意外に感じた。

🏭🏭🏭

喉が痛いような痛くないような微妙な体調。いまいち調子がよくない感じがする。

04-17(水)ボドゲであいさつ

初めて会った人とはシンプルなボドゲをするといいかもしれない。初対面の人々と集まる機会があったので ito というボドゲをやった。おのおの1〜100までの数字が書かれたカードを持って、「大きい動物」などのテーマに対して自分が持つ数字がなにに相当するかを言って、それをもとに数字を順に並べられたら成功というかんじ。コミュニケーションが9割のゲームなので、とりあえず話すにはちょうどいい。

04-18(木)

花粉症のせいか鼻水出まくりでつらい。集中力が終わっていた。

04-19(金)

今週は全体的に体調が微妙だった。まぁそういう週もあるのであきらめてよく寝る事にする。

weekly

*1:これは誤解かもしれない

週報 2024-04-12 部分ツイートは詩、『Refind Self』をやった、哲学に向き合いすぎない

2024-04-06(土)あますぎプロテイン、部分ツイートは詩

プロテインのお試し版が届いたので、筋トレ後に飲んでみた。甘い。たぶんホエイプロテインをそのまま飲むのはしんどいので甘くしてあるのだと思うが、雑に甘い。想定されているよりも半分くらいの濃度に薄めると飲みやすいので、まぁ飲めなくはない。

💪💪💪

部分ツイートの権威がインタビューを受けていた。

dailyportalz.jp

どういう部分ツイートがよいとされているかという話があった。たとえば「オートクチュールの特注の部分」は全体と部分が同じ意味になっている。他にも「人生経験のイケイケの部分」はメッセージ性がある。日頃から部分ツイートを見出している人の多くはこれらの基準に同意すると思う。

これを読んで、寺田寅彦の随筆にあった、詩とは対象と対象を結びつけるもので、作者の我を出すものではないという話を思い出した*1。部分ツイートも、全体と部分の結びつきの意外性や気づきにおもしろさがある。部分ツイートを文学に仕立て上げる人が出てきてほしいが、詩に比べると制約が大きすぎるのでむずかしそう。

2024-04-07(日)『Refind Self』をやった、楽譜を見ながら弾きたい

『Refind Self』というゲームをやった。アンドロイドになってドット絵の終末世界を徘徊し、そのなかで行なった選択によって性格診断をしてくれるゲーム。ドット絵がかわいいし BGM もよかった。性格は「賢者」だった。確率で得をするよりも確実に損をしない立ち回りをするという特徴があるらしい。言われてみれば最低ラインを回るようなムーブをしがちではある。「まだこのレベルは自分には早いな」と思ってためらってしまうことがあるのだ。しかしそういうケースのうちいくつかはハードルがあるように見えているだけだったりするので、もうちょっと挑戦してみるようにしてもよさそう。

3回プレイするとより深く診断できるらしいので、時間をあけてまたやりたい。

store.steampowered.com

🎮🎮🎮

ピアノと楽譜に関するツイート。

自分も楽譜をあまりすらすら読めないのでよくわかる。読みながら弾けないので全ての運指を覚えないといけないし、運指を忘れるともう弾けなくなってしまう。運指を忘れてもなんとなく指が覚えているので少し練習すればまた弾けるようにはなるのだが、ちょっと不便ではある。そういうわけで最近は新しい曲を覚えるときは楽譜を読むようにしている。しかし見た音符に対応する音をさっと押すのはなかなか難しく、こつこつ続けるしかなさそう。

2024-04-08(月)Bluesky で部分ツイート

最近 Bluesky を始めた。部分ツイートに関するフィードがあるらしいからである。Bluesky にはフィードという機能があって、検索条件に引っかかった投稿を垂れ流すタイムラインを作って公開することができるらしい。部分ツイートのフィードにはいくつもの部分ツイート*2が流れてくる。そのフィードを見つつ、たまに部分ツイートを思いついたら投稿している。最近の Twitter のように訳のわからないツイートを目に入れなくてよいので、素朴なインターネットを楽しめていい。

2024-04-09(火)椅子の高さ

昨日の夜はベッドでクネクネしていたら寝るのが遅くなってしまったので寝不足になってしまった。やっぱり十分な睡眠がないと頭が動かないしやる気も出ない。

😴😴😴

どうやら机に向かうときとピアノを弾くときでは、いい感じの椅子の高さが違うらしい。机に向かうときは数センチ低めがいいようだ。しかし机に向かうときもピアノを弾くときも同じ椅子を使っているので切り替えがめんどくさい。ピアノ用に椅子を買えばいいんだろうけどものが増えると掃除機がかけにくくなるので悩ましい。

2024-04-10(水)労働を減らそう

『近代の労働観』を読んだ。労働の喜びとか労働による自己実現といったイメージは近代の工業化以降に生まれたもので、本質的にはそんなものは存在しない。労働を縮小して、余暇を取り戻し、よりよく生きることについて公的空間で議論できるようにならなければならない、というのが雑なまとめ。最後のほうは著者も理想論であるとはしつつも、創造的な余暇を取り戻すことが究極の目標であるというのは同意できる。

さしあたっては労働時間を短くしないとどうしようもないわけだが、AI は労働時間を短くするだろうか。ある作業にかかる時間を短くするだろうが、資本家としてはそのぶん時間を減らしてやろうとはならない気がする。労働時間を固定して生産量を上げるようにするはずだ。そう考えると労働時間はどちらかというと法的な部分に制約がありそう。

www.iwanami.co.jp

2024-04-11(木)

昨日の夜に花粉症の薬を飲み忘れたので朝起きたら鼻詰まりでつらかった。薬を飲んで散歩したらスッキリした。薬の製造と流通に関わるすべての人に感謝...

2024-04-12(金)本の書き込み、『構造と力』を読んだ、哲学に向き合いすぎない

図書館で本を見ていると、たまに書き込みがあったりする。図書館の本に線が引かれていたりメモがあったりしても気にしないし、むしろ以前に誰かがこの本を読んで何かを考えたんだという跡が見えてたのしい。しかしだからといって、自分の持ち物でない本に書き込みをするというのはよろしくない。そもそも本に書き込むのは嫌だという人はたくさんいると思うので、書き込みを正当化する方向でやっていくのは難しいだろう。だいたい、秩序がなければ便所の落書きみたいになるおそれもある。やっぱり書き込みはよくないということにしておこう。

📚📚📚

『構造と力』を読んだ。構造主義ポストモダンをいい感じに図式化する話。最後のほうに出てきた教室の比喩が気に入っている。2つの教室があり、いずれも子どもたちが自習している。第一の教室では先生が前から見張っており、第二の教室では先生がうしろから見ており、振り向くことは許されていないとする。一見すると第二の教室のほうが気楽そうだが、そうではない。第一の教室ではどこを見張っているかがわかるので、気を抜いたりふざけたりするタイミングを見つけることができる。休み時間もある。一方で、第二の教室では、ちょっとしたいたずらは黙認されるが、どこまで許されるのかわからない。見張られているかさえもわからない中で、子どもたちはだんだん、監督される視線を内面化していく。また、ある程度放任されているのだから休み時間もない。そうして教室はたえざる自主的相互競争の場になる。

ここで第二の教室は、現代社会の一面をモデル化している。自由ではあるのだが、何かに追われている感覚があり、なんとなく競争を強いられている。この本は1980年代に書かれた本だが、インターネットが普及したことを考慮に入れると、教室の黒板、あるいはそれぞれの机に他の人の進捗が絶えず通知されるという要素を追加してもいいかもしれない。

👁️👁️👁️

思想とか哲学の本というのは、やっぱり考えても仕方のないことが書かれているのであり、精読というよりは乱読すべきものなのだということがうすうすわかってきた。哲学で食べていくのでなければ、こういう文章を精読するよりはピクニックに行ったほうがいいだろう。

*1:どこかで読んだはずなのにどこにもその記述が見当たらない。どうして...

*2:Twitter じゃないのにツイートっていうのは変だけど、これが一番収まりがいい

週報 2024-04-05 お花見、歴史的遠近法、プロテインを飲もう

03-30(土)

紙のほうがミスに気づきやすいみたいな話がツイートあった(消えている)。定説になるほど広く研究されているわけではない*1。個人的な感覚としては、ミスに気づきやすいかは別として紙のほうが読みやすい。ディスプレイだと長い文章を読む気にならないが、紙だと文字を読むぞモードに入りやすいのだ。

03-31(日)お花見、写真を撮ろう

友達とお花見に行ったんだけど、2割くらいしか咲いていなかった。とはいえいい天気なので外でベンチに座って昼を食べることにする。

友達がトルティーヤを作ってきてくれたのでありがたくいただいた。えびとチキンの2種類あって、どっちも具沢山でよかった。普段食べないメキシカンな味がしておいしかった。天気のいい日に外でのんびりご飯を食べるのはかなり幸福度が高い。こういう感じの生活が続けられたらそれでいいんじゃないかという気持ちになった。

あんまり咲いていない桜

🌸🌸🌸

お昼ごはんの写真を撮りそびれてちょっと後悔した。楽しくても忘れるものは忘れるので写真に残したいという気持ちはいつも持っているんだけど、うっかり忘れてしまうことがある。もっと写真を撮る基準を下げて、撮り忘れないようにしたほうがいいかもしれない。

04-01(月)歴史的遠近法

氷菓』の「全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく」ということばをふと思い出した。いままで意味がピンときていなかったんだけど、歴史的遠近法というのは徐々に細部が捨象されてゆき、ある過去が自分や共同体の中に占める割合はどんどん小さくなっていくことだ。いきなりこの理解が降ってきたのでびっくりした*2

これは昨日の話につながる部分もあって、いまを記録することで、のちのち遠近法で消えてしまうことも残しておけるんだと思う。遠くに消えかかっているものも、写真があれば近くに引き寄せてくることができるかもしれない。

📸📸📸

『飛び立つ君の背を見上げる』を読み直した。『響け!ユーフォニアム』シリーズのスピンオフで、主人公の1つ上の先輩たちの短編がいくつか入っている。その先輩たちが卒業する話があるんだけど、卒業前のなんともいえない希望と虚しさがしっかり描かれていてよかった。スピンオフなので難しいかもしれないが、ぜひアニメ化してほしい。

04-02(火)時間は存在しない

『時間は存在しない』という本に、全宇宙で共通する「現在」は存在しないし、時間は飛び飛びのものだし、エントロピーの増大(時間の流れと関係する)は自分たちの認識が粗いせいで起きるなどのびっくりステートメントが書かれていた。日常生活でも物理においても時間というのは根源的で確実に存在しているように思えるが、一般相対性理論以降はどうやらそうとはいえないらしい。怖いね。

www.nhk-book.co.jp

04-03(水)

花粉症の薬のせいで眠い。眠いだけならいいんだけど、体がだるくなるので朝は飲まないほうがいいのかもしれない。

04-04(木)プロテインを飲もう

久々に筋トレをした。血行が良くなった感じがするし、達成感があるので気分も良くなった。パソコンをいじったり本を読み続けるためにも、筋トレをちゃんとやろうという気持ちになり、プロテインも飲もうと思う。いきなりデカい袋を買うと口に合わなかった時に大変なので、お試し用の小袋みたいなやつを注文した。5種類の味がそれぞれ10.5gずつ小分けになっている。これで味見をして気に入ったやつをデカい袋で買おうと思う。

04-05(金)健全な逆張り

飲みに行って、最近はおもしろいこととかちょっとしたことをやる余裕がなくなっているという話になった。前に書いた微妙な生きづらさみたいなものにも関係している気がする。順張りと健全な逆張りのうまい使い分けが必要なのかも。

*1:https://www.ricoh.co.jp/magazines/direct-marketing/column/t00021/

*2:もともとこういうふうに理解していたのを忘れて思い出したつもりになっているのかもしれない

週報 2024-03-29 フリーレンと贈与、春が来た、ボドゲ三昧

03-23(土)フリーレンと贈与

『世界は贈与でできている』を読んだ。贈与というとプレゼントをあげたりすることを想起するが、誰かに対して何かをしてあげることも贈与になる。本書では、純粋な贈与を、受け取った時点ではそれが贈与だと気づかないものとしている。つまり、贈与の差出人は「これは贈与です」といったふるまいや見返りの期待をせず、受取人は贈与であることに気づかずに受け取ることになる。たとえば、(理想的な)親は見返りを期待せず子を育てるが、子は大人になってみないと親のしてくれたことのありがたみを感じにくく、純粋な贈与であるといえる。一方で、見返りを期待したり価値の交換を含むようなやり取りを交換と呼んでいる。純粋な贈与というのはなかなか発生しないので、モノや行為のやり取りの多くは純粋な贈与と交換の間にあると思う。

本書では過去に誰かがくれた贈与に気づくことについて述べられているが、見返りを期待せずに贈与することについては書かれていない。このあたりは利他的な行動として倫理学のいろいろな本で述べられていると思うので、そのうち読みたい。

publishing.newspicks.com

🎁🎁🎁

そう考えると、ヒンメルとフリーレンの関係は純粋な贈与の関係にある。ヒンメルは、フリーレンが寂しくならないように思い出や銅像を各地で作った。その当時フリーレンはヒンメルの贈与にまったく気づいていないが、80年が経ち、その旅路をフェルンたちとたどり直す過程でヒンメルがくれたものに少しずつ気づいていく。純粋な贈与というのはこのように受け取りを自覚するまでに時間差があるのだ。

フリーレンは人間を知るために旅をしているが、この観点から見てもフリーレンは成長しているんだなぁと思った。

03-24(土)

引き続き Duolingo でイタリア語を覚えている。Duolingo ではひたすら英語とイタリア語の変換(Duolingo はイタリア語コースに日本語版がない)をしたり、文を読んだりする。文法などの説明がないが、文法書のどこを見ればいいかもわからないことがある。そういうときは ChatGPT や Claude に質問している。だいたい知りたいことがわかるし、ちょっと怪しくても調べるきっかけは掴めるのでよい。

03-25(月)

バーガーキングハンバーガーを食べた。バーガーキングの肉は焼いてる味がしておいしい。

03-26(火)

ちょっと暖かくなってきたのでアイスを食べた。春が近づいている。

03-27(水)

散歩に行った。いいニュースと悪いニュースがある。いいニュースは、コンビニで買った日向夏ミックスがおいしかったこと。悪いニュースはねこに逃げられたこと。かなしい。

😭😭😭

メールの整理をしていた。勝手に購読していたメルマガの配信を停止したり、いらないメールを削除したりした。消すというのは気持ちよくて、前に書いたけど不要になったコードを消したり、部屋の片付けをしていらないものを捨てたりするのは割と好きだ。

03-29(金)春が来た、ボドゲ三昧

ここ最近で一番暖かい。桜も咲き始めているし、もう春ってことでいいと思う。

🌸🌸🌸

友達の家で一日中ボドゲをしていた。スタータップスというやつがおもしろかった。同じ種類のカードをより多く集めるといいんだけど、どれをどんなふうに集めるかに駆け引きがある。とりあえずおもしろいのでおすすめ。

一日中床に座ってボドゲをしていたのでさすがに腰が破滅してしまった。

oinkgames.com

週報 2024-03-22 いい加減な読書、訂正可能性の哲学とコードレビュー、古本まつり

03-16(土)お墓そうじ

今週のフリーレンを見た。フェルンさん完全に食いしん坊キャラになっててよかった。

😋😋😋

お墓参りに行った。しばらく行っていなかったので汚れが積もっていた。激落ちくんでゴシゴシ擦るとちょっとずつ汚れが落ちていく。掃除はやった分だけ成果が見えるので、やり始めてしまえばわりとたのしい。やり始めるまで腰が重いけど。

03-17(日)同窓会

高校の同窓会があった。レンタルスペースを借りてやることになっていたので、食材やら飲み物の調達から始まった。みんなでわちゃわちゃ相談しながら買い物をするのは楽しい。

それから本編が始まった。卒業してから会っていなかった人も多かったが、みんな元気そうでよかった。久しぶりに飲んだのでちょっと飲みすぎてしまった。反省。

03-18(月)二日酔い、『ルリドラゴン』を読んだ

二日酔いでベッドに突き刺さっていたら昼が終わっていた。お酒は飲みすぎないほうがいいらしい。

😴😴😴

『ルリドラゴン』を読んだ。主人公の女子高生がいきなりドラゴンになっちゃう話。ツノが生えててかわいいのだが当然本人は気にするし、火を吹いちゃったりもして、学校に行きづらくなってしまう。それでもがんばって行ってみると意外とクラスメイトには受け入れられる。そんなにすんなり受け入れられるだろうかと思ったが、友達にいきなりツノが生えてても「なんでツノ生えてんの?おもしろ」としかならないかもしれない。

長期休載していたらしく、最近連載を再開したらしい。単行本がまだ1巻しかないので、早く続きを読みたい。

www.shonenjump.com

03-19(火)いい加減な読書

『本は眺めたり触ったりが楽しい』にこんな一節があった。

本を読むというのは、本の中身を、読んだ自分の感想に合わせて、デフォルメすることなのかもしれない。中身を忘れても、あるいは間違って記憶しても、それはそれで立派な読書なのかもしれない。

似たような一節がもう一つある。

読書という、極めて個人的でひそやかで秘密めいた作業は、あらゆる記憶違い、思い違い、読み違い、を許容する。

人間の頭は記憶違いをするようにできているようなので、読んだ内容を思い違えたりするのは仕方がない。忘れることもよくある。読書そのものを目的とせず、読書をきっかけとして色々考えたり人と話すことを目的とするのなら、これらの問題は問題でなくなる。むしろ変なアイデアが生まれたりおもしろい話題になったりする。

この本を読んでいると、だんだん読書がまじめなものであるという考えがほぐれてきた。読書はいい加減なものでいい。

03-20(水)訂正可能性の哲学とコードレビュー

『訂正可能性の哲学』を読んだ。2部構成になっていて、ここでは前半について書く。雑に内容をまとめると、共同体においては「訂正」、つまり共同体における規則や意味を書き換える行為が重要で、これからの共同体は訂正可能性の場として構想されるべきだという話。そのためには一見保守的に見えるやり方で過去の不条理さを許容しつつ、しかしそれをすこしずつ訂正していくというのが現実的なやり方であるというのが主張だ。

ソフトウェア開発も訂正の連続だ。使う言語や仕様、コード、メンバーなどが絶えず変化する。それでも同じプロダクトを作っているという一貫性をメンバーはみな持っている。少なくともソフトウェアエンジニアに関しては、この帰属意識の形成にコードレビューが役立っていると思う。新しく入ってきたメンバーは、コードレビューという訂正の応酬を通してチームの慣習やルールを覚える。一方で新入りの指摘でルールの方を訂正することもある。既存のメンバーに関しても、訂正されたコードを日々のレビューを通じて受け入れる。そういう押し合いへし合いの中でメンバーがチームに馴染んでいき、ルールの定性によってチームの輪郭も少しずつ変わっていくのだと思う。

webgenron.com

03-21(木)沖縄そばを食べたい

この動画を見て、沖縄そばを食べたくなった。 www.youtube.com 沖縄そばはだいぶ前に沖縄で食べたきりだ。ラーメンともうどんとも違っていて、無言で一気に食べられる。調べてみると行動範囲に沖縄料理のお店があるので、今度行ってみたい。

03-22(金)古本まつり、ボンディ

所用で東京に行った。用事が済んでから神保町の古本まつりに行った。通り一面に古本でいっぱいのワゴンが並んでおり、いろんな人がそれを物色していた。特にお目当ての本があったわけではないのだが、随筆などを4冊ほど買った。そのうちのひとつが日本近代随筆選という本で文豪の随筆がいくつも載っている。帰りの新幹線で読んでみたのだが、古文でよく感じていた話題のぬるっとした変化がある。どれを読んでも面白いので、ときどきパラパラめくって読んでいく。

🍛🍛🍛

神保町に来たらボンディに行きたいと思っていたので行った。ビーフカレーを食べた。ここのカレーはじゃがいもが入っておらず、代わりに蒸した?じゃがいもがバターとともにそのまま出てくる。このじゃがいもがとても甘くてよかった。じゃがいもは蒸してバターをつけて食べるのが一番いいのかもしれない。カレーもおいしくて、大きな牛肉が5切れも入っていた。満足だった。

ボンディのビーフカレー
ボンディのビーフカレー

週報 2024-03-15 Obsidian へ移行、電柱を見てみよう、心に歌があれば

03-09(土)おすしたべた

家族でお寿司を食べに行った。ブリがおいしかった。最近は焼肉とかよりもお寿司のほうが好きかもしれない。

🍣🍣🍣

本屋さんでうっかり本を買ってしまった。『構造と力 記号論を超えて』を買った。全然読んでないんだけど、パラパラめくっているときに目に入った「シラけつつノリ、ノリつつシラける」ということばがよかった。逆張りをやめて順張りを始め、それに疑問を抱きはじめた最近の自分と重なる部分がある。

03-10(日)Scrapbox へ移行

随時考えたことや読書中のメモなどを Notion に書いていたのだが、Scrapbox に移行した。Scrapbox[ねこ] みたいに書くと、他に [ねこ] と書かれているページがサジェストされるようになっている(2-hop link という)。この機能は Notion にはなくて、この機能のために移行した。 とりあえず Notion にあるページをせっせと Scrapbox に移植した。自分はプログラマではあるのだが、効率化のための作業が面倒だと手作業を厭わないことがあり、今回は手でコピペした。移行する文書を選別する必要があったので、手作業でやってもたいして手間が変わらなかった。

🏃‍♀️🏃‍♀️🏃‍♀️

儒烏風亭らでん という VTuber を見始めた。美術系のバックグラウンドがある人らしく、雑談配信などでも作品紹介のコーナーがあったりしておもしろい。ときどき九州っぽい方言で話すことがあって、それもいい。配信者がもっとおのおのの方言を出していろんな方言をまぜこぜにするとおもしろそう。

03-11(月)音読は自分でやろう

今週のフリーレンを見た。バトルシーンが本気でいい。あまりバトルシーンの多いアニメを見てこなかったほうではあるが、ここ数年のバトル描写は迫力がすごい。

🪄🪄🪄

書いた文章を音読すると、直すべき部分に気がつきやすいかもしれない。自分で音読するのは面倒なので VoiceVox を入れて四国めたんに読ませてみたんだけど、ちょうど YouTube の解説動画みたいなノリで聞き流してしまう。他人事のような感じがするのだ。やっぱり自分で音読しないといけないらしい。

03-12(火)花粉症のトレードオフ、Obsidian へ移行

花粉症が鼻にきているので薬を飲んでいるんだけど、副作用で眠くなる。夜は入眠が早くなっていいのだが、日中は単純に作業効率が落ちるのできびしい。鼻がめちゃくちゃになるよりはましだけど。

🤧🤧🤧

Scrapbox から Obsidian に移行した。あまりにも早い転換だが、Scrapbox の記法に慣れなかった。また、エディタとしての使いやすさを考えて Obisidian にした。Obsidian もプラグインを入れることで 2-hop link を表示できるようなので、Obsidian が求めていたものだったようだ。 Obsidian は同期のために課金をしないといけないのだが、同期用のプラグインを入れて Cloudflare R2 に保存するようにした。ひとりで Markdown ファイルを書きまくる限りでは Cloudflare R2 の無料で使える容量を使い切ることはなさそうなので、無料で同期ができた。

03-13(水)電柱を見てみよう

電柱に関するブログを読んだあとに外を歩くと、電柱の見方が変わった。

www.hageatama.org

実際に家の周りにある電柱を見てみると、記事にある通り、トランスを境に2系統の線が通っていることがわかった。今まで見えていなかった電柱の細かいパーツに目が行くようになったし、思っていたよりも電線や電柱が存在していることに気づいた。知識によって物の見方は変わるということを改めて感じた。

03-14(木)Twitter ゾンビ

Notion に残っていて回収し忘れていたメモに『短時間で得られる刺激から距離を置く』という記事があった。

piyopanman.dev

記事の筆者は TwitterYouTube など、短時間で得られる刺激に悪い意味で慣れてしまっていて、そういうものから距離を置くといろいろとよい影響が出てきたという話。自分も Twitter とかを漫然と見てしまうことはよくあって、この記事を読んですぐに Twitter のタブを閉じた。 TwitterYouTube をうろうろしている時間というのは最悪で、腰を据えておもしろいものと向き合うつもりはないが、手っ取り早いおもしろさを求めてゾンビのようにインターネットを徘徊しているのだ。こういう時間はたいした充実感もないのでどんどん減らしていかないといけない。

そう考えると、最近はいわゆるインプレゾンビというやつがはびこっているが、自分もたいがいゾンビのようなものだったのかもしれない。

03-15(金)メイク入門、心に歌があれば

友人にメイクを勧められた。最近は男性でもメイクをする人がいるらしいことは知っていたが、自分がやるつもりはあまりなかった。だが、話を聞いてみると簡単なメイクであればそこまで難しくはなさそうだったので、試しにやってみることにした。 友人のご指導のもとBBクリームとパウダー、リップを買った。BBクリームで肌の色を均一化してパウダーで肌のテカリを和らげ、リップで唇の血色を良く見せるらしい。

家に帰ってから早速使ってみた。言われてみないとわからないが、やるのとやらないのとでは明らかな違いがある。マリオカートでコインを10枚集めて走るくらいのバフがかかる*1

💄💄💄

『劇場版 少女☆歌劇レヴュースタァライト』という映画の『私たちはもう舞台の上』という曲を改めて聴いていたら泣いてしまった。この作品は、かなり雑にまとめると「まどマギのシリアス要素を薄めて学生要素と演劇要素を足してスポ根でくるんだもの」みたいな感じになる。映画の上映当時はかなりハマって、ED の『私たちはもう舞台の上』はいまだによく聴くくらい好きな曲だ。

今日、改めて歌詞を見ながら聴いていると「まっすぐな道ばっかじゃないけど 大丈夫 心に歌があれば」というところで泣いてしまった。演劇の道を歩む主人公たちにとって歌というものはかけがえのないもののひとつで、そういうものをしっかり携えていれば苦難があっても乗り越えられるという、シンプルさとポジティブさがいい。

*1:マリオカートではコインを1枚集めると1%速くなり、10枚で10%速くなる

週報 2024-03-02/2024-03-08 国立民族学博物館へ行った、あついのでごちゅういください、通読の呪い

03-02(土)今週のダンジョン飯

昨日は暖かかったのに、今日はちょっと寒い。まだ春じゃないらしい...

🥶🥶🥶

今週のダンジョン飯を見た。マルシルがかわいいことに気づいてしまったんだけど、これってまだ世間にバレてない?

03-03(日)ミオシティの BGM を弾く

ポケットモンスター ダイヤモンド・パール』にミオシティという街が登場するのだが、そこの BGM がとてもいい。街には運河が流れていて、その穏やかで落ち着いた空気感がよく再現された曲なのだ。前々からこの BGM のピアノアレンジがあることは知っていたのだが、今日その気になったので練習してみることにした。

🎹🎹🎹

昼寝をした。日曜日に昼寝をするのってかなり贅沢な時間の使い方だと思う。夕方に起きるともったいなくて後悔するけど。

03-04(月)国立民族学博物館へ行った、オタクになりたい

大阪の吹田にある国立民族学博物館に行ってきた。世界各地の民族の工芸品や衣服、日頃使っている道具などがたくさん展示されている。かわいいものやこわいものがいっぱいなのだ。へんなオブジェとか仮面もいっぱいあって、いろんなところにこういうヘンテコなものをもっと増やしたほうがいいと思った。

👺👺👺

『映画を早送りで見る人たち』を読んだ。タイトルの通り、最近映画などの映像作品を早送りしたり10秒スキップを使って見る人が多いというトレンドに対して、大学生などへのインタビューをもとに考察する本。映像の鑑賞に時間をかける余裕がない、話題についていくために見なければならない、作品自体がセリフによる説明に頼りすぎているなど、人によって早送りをする理由はさまざまであるらしい。自分は映画やアニメは早送りやスキップをしないが、YouTube の動画はスキップするし大学の講義動画は早送りしていた。

おもしろかったのは、オタク的な個性を求めている人は多いがオタクになりたいわけではないという話だ。対象に関する知識の深さや入れ込み具合でもって「すごいオタク」であるとする風潮があり、それに憧れを持つ人は多い。特に SNS を見ていると、そういう人のようすが簡単に目につく。するとみんなが強い個性を持っているんだと思い込み、世の中を取り巻く余裕のなさもあいまって、短時間でオタク的な存在になろうとする若者が現れるのだ。そのための行動のひとつとして早送りがある。

ここで「オタクというのは気づいたらなっているものであって〜」というのは簡単なのだが、オタク的な存在になりたい若者にとっては切実な問題なんだと思う。自分も若者の一人として、この「何者かになりたい」という漠然とした切迫感をどうすればいいのかをこれから考えていきたい。まず、20世紀の若者に「何者かになりたい」という雰囲気はあったのかということと、それがインターネットの登場によってどう変容したのかを調べるとよさそうだ。もう一つ、なんとなく目の前を覆い尽くすような先の見えなさ、閉塞感というのも「何者かになりたい」という焦りを産んでいると思っていて、これについても向き合わないといけないと思っている。

www.kobunsha.com

03-05(火)

ミオシティの BGM を順調に覚えられている。やっぱり寝ると運動の記憶も定着するのか、前日に練習したところがちょっとスムーズに弾けるようになっている。

03-06(水)あついのでごちゅういください、イタリア語はじめました

本を読みに図書館に行った。紙コップに注いでくれるコーヒーを買ったのだが、蓋に「あついのでごちゅういください」と書いてあった。よく考えてみると、蓋自体は熱くないのに「あついので」と書いてあるのはちょっとおもしろい。あの蓋は熱いコーヒーの入った紙コップと一緒になるという星のもとに生まれてくるわけだ。

☕️☕️☕️

イタリア旅行に行く*1かもしれないということで、イタリア語の勉強を始めた。とりあえず図書館でイタリア語の文法書を借りて眺めつつ、Duolingo を回しまくることにした。発音については、おおよそローマ字読みをしていくつかの例外に気をつければいいらしい。文法はまだ全貌が明らかではないが、主語とか時制による動詞の活用とか冠詞を覚えるのがめんどうそう。語学はほとんど根気だと思っているのだが、今の自分には根気が足りていない気がするので、根気をつける練習だと思ってやっていこうと思う。

03-07(木)『はじめての政治哲学』を読んだ

イタリア語たのしい。Duolingo をしばいているのだが、基本的なところで足踏みしてなかなか進まない。反復学習ということで仕方ないのだが、もっとポンポン文法事項を詰め込んで何度も戻ってくる感じのほうがうれしい。

🇮🇹🇮🇹🇮🇹

『はじめての政治哲学』を読んだ。不慣れな分野なので、書いてあることを批判的に読むのが難しかった。権威、デモクラシー、自由、正義などについて基本的な考え方のようなものが書いてあるので、ときどき読み返すのが良さそう。

www.iwanami.co.jp

03-08(金)通読の呪い

マルシルを描いた。かわいいね

\マルシル/

🪄🪄🪄

『本は眺めたり触ったりが楽しい』という本に、「本を読むことの窮屈さのなかには、本は前から読むものである、という約束事が主な原因になっている場合が多い」とあった。確かに自分の中には頭から読むべしという呪いが刻まれている。どこで呪われたのかはわからないが、とにかくこれを祓わないといけない。最近読書に関する本を読む中でこの考えは薄れてきてはいるので、この調子で解呪したい。

たまたまこの本にしおりが挟まっていなくて思いついたのだが、しおりをあえて使わずに読むといいのかもしれない。しおりがあるとそこから再開して順に読まなければと考えてしまうが、しおりがなければ「どこだったかな〜」といいながら適当なところを読みやすくなる。しばらくこれやってみようと思う。

*1:頭痛が痛い